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 第2日  渋谷〜二子玉川(その2)       

                (歩いた距離12.3q  2002.04.28)

 目黒川を渡るところに「玉電」の説明板がある。

 玉電は明治40年(1907)多摩川の砂利を東京に運搬する目的で敷設された。
人も乗せた路面電車で玉川通りを走っていたが、 昭和44年に廃止された。

 すぐに左に行くと、商店と住宅が並んだ旧道がある。

 池尻稲荷神社裏口がある。
 神社の正面は国道246側にあるが、裏口に大山道の道標が立っているので、
かつては正面であったのであろう。
 そこに昔の着物姿の子どもたちが遊んでいるブロンズ像がある。

 この神社は「明暦年間(1655〜58)に池尻村、池沢村の産土神として創建された。
村民の信仰とともに矢倉沢往還、津久井往来の道中の無事を願い、それに感謝する人々の
信仰も篤かった。」

 境内には「薬水の井戸」という「涸れずの井戸」があった。
「病気立ち所に快癒すといわれ、また往来の人にも農民にも飲料水として
頼りにされていたと伝えられる」。

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 三宿で国道246に合流し、先に進むと三軒茶屋である。

 矢倉沢往還、津久井往来の人々が休憩した角屋、田中屋、信楽屋の三軒の茶屋が
あったのが地名の由来である。

yagu02-17.JPG  世田谷通りと分岐するところに寛延2年(1749)に建立された
大山道標がある。
 道標の上に不動明王が座っている。
左相州道、右富士(世田谷、登戸)道と彫られている。

 世田谷区文化情報センターで開かれている「参道狛犬写真展」を見学する。
第1回の浦和の写真展より一層展示が充実し、活気があった。
出品された方々の丁寧な説明を受け、大いに啓発された。

 大山道は、現在の世田谷通りで代官屋敷経由の道であったが、
文化文政の頃桜新町経由の新道ができたという。

 今回はその新道の方を行く。
 小さな商店が続いていて、看板に特徴がある店がある。

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 地蔵や庚申塔がある。

 東急線の桜新町駅前では歩行者天国をしていて、大変な人出である。
露天の店が出て、パフォーマンスがやられている。

 坂を下ると、左に用賀神社がある。
 拝殿には、鈴でも鰐口でもなく神楽鈴が置かれている。

 昭和36年(1961)の「尾下がりしょうわ」狛犬がいる。

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yagu02-24.JPG yagu02-28.JPG  用賀の商店街にはいると、
土蔵造りで看板が立派な酒屋がある。

yagu02-25.JPG  右に真福寺がある。
 その境内に太子堂と庚申塔がある。

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 用賀駅を横に見てなお進むと、
道が二股に分かれている角に延命地蔵がある。

 左の道を行き、瀬田で国道246に出る。
 すぐのかわいい格好をした交番の左の
上がって行く。

yagu02-29.JPG  行善寺に行く。落ち着いた清潔な寺院である。
世田谷崖線沿いの地で「この地は崖線にめぐまれ、
江戸時代から玉川八景として有名であり、将軍もしばしば立ち寄った」
という。
 裏庭に行くと、多摩川や多摩丘陵が眼下に見え、
今のように建物が込みあっていなければどこまで見えただろうか。

yagu02-27.JPG  急な行火坂を下り、二子玉川駅で乗車して、帰宅。

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